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ブランドスローガン

DOPPELGANGERロゴ
ショックザピープル
「業界を揺るがす衝撃を与える製品を作りたい。」
今回掲げたスローガンには、そんな私たちの思いが込められています。
「想像を超える感動」というスローガンを打ち出してから、私たちは様々なアプローチから自転車というコンテンツの可能性を模索してきました。
そして今、「感動=MOVE」から「衝撃=SHOCK」へ。
現状を義人せず、常に時代を築く者としてのスタイルで、DOPPELGANGER® は新しいコンセプトのコンテンツを作り続けます。

ブランドコンセプト

why bicycles

自転車に乗る意味。

公共の交通手段が発達した現代において、「自転車に乗る意味」とは何か。
電車でも、バスでも、タクシーでも、自家用車でも、モーターサイクルでもなく、「自転車」に乗る意味とは。

安全で確実な手段としては、電車やバスが挙げられるでしょう。より長い距離を便利に移動したいのであれば自動車が良いかもしれません。
街中のちょっとした移動であれば、電動自転車が快適でしょう。
にもかかわらず、なぜ体力が要求され、荷物も多く載せることができず、雨風の影響を受け、直射日光や気温の変化と戦わねばならない自転車に乗るのか。

コンセプトイメージ

その意味は、人によってそれぞれ異なるでしょう。

健康のため?
競技の(練習の)ため?
人混みが苦手だから?
いちばん便利だから?

しかし私たちは、自転車に乗る「最大の理由」について、他人の制約を受けず、自らのペースで走れることだと考えます。

「自転車は、乗る人によって、乗る人それぞれの速さで走る」。

自転車の走る速度は乗る人によって異なります。
乗れば勝手に目的地まで運んでくれる電車やバスとも異なります。アクセルを開けば加速する自動車やモーターサイクルとも異なります。
自転車は、私たち自身を動力源として、私たちの必要な速度で走るのです。
その速度は、徒歩とも異なります。

その速度でしか見えないもの、その速度でしか感じることができないもの。
歩く速度でしか目に入らないものがあるのと同様に、自転車の走る速度でしか目に入らないもの、自転車に乗った時の視界でしか目に入らないものがあります。
それは、周囲を囲まれた電車では見ることのできないものであり、高速道路や渋滞する市街地を走る自動車を運転していても見ることのできないものだと考えます。
速すぎず、遅すぎず。

そして、走る速さや目的を決定するのは自転車に乗る人であり、自転車ではありません。
自転車は、乗り手があって、はじめて意味を成すものです。スタンドがなければ、乗り手無くして直立すらままならない存在なのです。

周囲に流されずに自分の速度で走ることができ、人に運ばれることをよしとせず、自分の目的のためだけに走ることができるすべてのライダーに。

「ドッペルギャンガー・バイシクル」は、そのようなコンセプトのもとで作られている自転車なのです。




definition of fine bycycle

「良い」自転車の定義とは?

コンセプトイメージ2

良い自転車の定義とは何でしょう。
高級なコンポーネントを装備する自転車?軽量な自転車?高価な素材を使用した自転車?フルサスペンションを装備した自転車?

いずれも正しくはありますが、しかしすべての人にとって、「良い」と言えるでしょうか。
たとえば、クルマを例にとってみましょう。「速く走る」という目的においては、おのずと車体デザインや構成(パッケージング)が決定されるでしょう。それは疑う余地がありません。その場合、積載性や乗車人数は重要視されず、燃費も無視されることになるかもしれません。
しかし、これがもし「人を運ぶ車」、もしくは「悪路を走る車」をつくることが目的であればどうでしょう。優先される「要素」そして優先順位が大きく変わります。ある目的のもとでは最優先されるものが、また別の目的のもとにおいてはまったく無視される、といったケースもありうるのです。

良い自転車、たとえばその目的や定義を「速く走るための自転車」と定めれば、おのずと形状が決定されます。
ですが、私たちが乗りたいのは、「速く走れる」自転車でしょうか?
周囲や流行に流されてはいませんか?

すべての自転車が同じ基準で造られていては、面白みに欠けるものになり、どれも没個性なものとなってしまいます。

仮に、「優れた人」の基準がすべての人にとって同じものであれば、そこに個性の介在する余地は無くなり、その基準から外れる人は「優れていない」ということになります。
しかし、現実はそうではありません。
「基準」は一つではありませんし、たとえ「基準」があったとしても、その基準にあらわれない部分が「その人の個性」なのです。
私たちは、人の個性を尊重すると同時に、「モノ」の個性も尊重します。

私たちがここで主張したいのは、「良い自転車」の定義は一つではない、ということです。その自転車の目的が「速く走ること」「荷物を積むこと」「悪路を走ること」と細分化されれば、それぞれの分野において「良い自転車」の定義が変わるのです。

私たちが作るバイクは、競技に使用するロードレーサーではありませんし、シリアスなダウンヒルバイクでもありません。
そして、自転車に乗る人すべてがレーサーを目指すわけでもありません。
ですから、それらと同じ視点で、同じ手法によって自転車が設計されることはナンセンスです。
また、それらとの比較も同様にナンセンスです。

私たちは、自転車の良し悪しは使う目的を抜きにして語れず、かつコンポーネントや素材の高低のみによって語られるべきではない、と考えています。

その上で、私たちの考える「良い自転車」とは。
使用されるべき、そして使用されるであろう目的がはっきりしており、その目的に沿って最大限の効果を発揮できるよう最適なデザイン・技術・素材を集中させてつくられた自転車。いかに「使う人」の目的に添い、価値観に合致しているか。それが最も重要だと考えています。

しかし、その「目的」は人により、多種多様に分化します。
私たちは、さまざまな人々のさまざまな「目的」に合致するよう、さまざまなコンセプトを持つ、さまざまな自転車をラインナップしています。
そして、その「目的」と「コンセプト」が合致し、人と自転車が一体となることにより発生する「新たな価値」を期待しているのです。

その新たな価値とは、商品だけに依存しない、「所有する満足感」「比べられることのない快感」といった、その自転車を所有する人の「心」に直結するものだと考えています。




自転車の「個性」、
そしてヒエラルキーの外に乗り出す勇気の大切さと快感。

コンセプトイメージ

私たちは、外見や偏差値や出身校など「外面的な、書面上の」事項だけで人間の優劣を決めることができない、また決めてはならない、ということを知っています。
見かけだけでは分からない、その人の個性がその人の”人間性”を決めるのであって、外見や、書面上の”データ””スペック”のみでその人となりを判断するべきではないのです。

自転車も同様に、スペックには現れない「個性」が存在します。
その個性が「その自転車の性質」を決定するのです。

しかし、自転車も「モノ」である以上、必ずそこには「ヒエラルキー」が存在します。
つまり、世間一般的な基準における「モノの優劣」です。

しかし、「良い自転車の定義」について疑問を投げかけたのと同様、ここで私たちは再度問題を提起します。
そのヒエラルキーは自分が従うべき種類のものであるのか。
それは他人が決めたヒエラルキーであって、それに自分が従う必要は無いのではないか。
自分が使う「モノ」であるのに、それを選ぶ基準が他人が決めたものになっているのではないか。

「モノ」を選ぶとき、私たちが従うべきは自身の価値観であり、他人の決めたそれであるべきではない、と私たちは考えます。
私たちが言いたいのは、「自分が本当に乗りたいのはどのような自転車であるのか」をしっかりと見極め、それに沿った自転車を選ぶ必要がある、ということ。
一般的な基準や他人が決めたヒエラルキーではなく、自分自身の基準に従って自転車を選ぶという行為の大切さを強調したいのです。

人は、風になびく旗のように、風の向きによってその方向を変えるべきではない。私たちはそう考えています。

私たちが従うべきは、私たち自身の心であり、それは周囲に影響されるべきではないのです。

「ヒエラルキー」という世界からあえて身を一歩外へ置き、自分の価値観を満足させ、純粋に自分の楽しみのためだけに自転車を選ぶこと。
他人が決めたヒエラルキーに左右されず、「他人は他人。自分は自分」と考え、独自の判断を下すこと。
ヒエラルキーの外に乗り出す勇気の大切さ、ヒエラルキーの外に出て自由な視点でものを見て選ぶことの快感を、私たちは強調したいのです。
いったんヒエラルキーの外に出てしまえば、今まで自分が囚われていた世界のなんと小さなことか。そう思えるかもしれません。

だからこそ、私たち自身もカテゴリーに囚われず、かつコンポーネントに依存しない「新しい自転車の価値」を提案し続け、常に「ヒエラルキーの外に」あり続けようとしています。
そして、ヒエラルキーの外へ居続ける限り、私たちに制限や固定観念は適用されず、同時に意味を成さないのです。
私たちの製品が世間一般の考える「自転車」という尺度を用いて測られたくないのと同様に、私たちもまた、自転車を世間一般の尺度では測っていないのです。
つまり私たち自身が、ヒエラルキー内に存在することの無意味さを、製品を通して示しているのです。




why bicycles
コンセプト、そしてそれを反映させる「鏡」としての自転車。

私たちのつくる自転車は、それぞれのコンセプトを持っています。
ひとつのモデルを誕生させるにあたり、私たちはまず「コンセプト」を考えます。
そして、私たちはこう考えます。

「自転車をつくっているのではない。コンセプトを”製品”として具現化しているだけだ」、と。

しかし自転車である以上、必ず使用しなくてはならない部品が存在します。
それはハンドルバーであったり、クランクであったり、変速機であったり、ブレーキであったり。自転車は、様々な部品の集合体なのです。
それらの部品を一つの自転車として組立てたとき、つまり異なる素材や構造を持つ部品をひとつの自転車にしたときに、どうやってコンセプトを表現するのか。私たちはそこに力を注いでいます。
今まで、自転車といえば「どのメーカーのどのコンポーネント(変速機など)を使用している」「何段変速である」といった、数字やカタログ上のスペックが大きな「売り物」でした。
しかし、私たちは考えます。それらのスペックは本当に必要なのか。
単に他の自転車より数字の上で優位に立ち、販売を有利にするが為に追求されただけの、ユーザーを無視したスペックではないのか。
本当に必要なのは、等身大のスペックではないか。どのような条件でライダーが使用するのか、ライダーが自転車に求める用件は何か。それらを反映した製品ではないか。

そうしたアンチテーゼの上に私たちの提案を織り交ぜたもの、それがすなわち「コンセプト」であり、そのコンセプトを具現化した製品が、「ドッペルギャンガー自転車」なのです。

自転車である以上、必要な備品があることは既に述べました。
コンポーネント(部品)が自転車を決定するのではなく、自転車が部品を決定するのである。そう考え、私たちは部品を”完成品としての自転車=コンセプト”にフィットさせるよう、デザインしています。

そして、ドッペルギャンガーのプロデュースする自転車は「1コンセプト・1カラー」です。商業的には、フレームのカラーを増やし、多色展開する方が有利です。
しかし、あえてドッペルギャンガーはそれをしません。
なぜか?ドッペルギャンガーは、色とフレームはあわせてデザインされるべきだと思っているからです。
まず先にその自転車のコンセプトを決め、そのコンセプトに合ったフレームをデザインし、コンセプトに合ったカラーを採用します。そして、このフレームとカラーを最大限引き立てることができるパーツ、そしてパーツのカラーを選びます。
そのようにしてひとつのコンセプトのもとに造られた自転車である限り、いたずらにフレームカラーを増やすべきではないと考えています。

その結果、ドッペルギャンガーバイシクルは他のどの自転車にも似ていない、その独特の存在感を持つに至りました。
遠くからでも一目でそれと分かるアイデンテティ。他の自転車と並べたときに際立つ、圧倒的な存在感。比べられることの無い個性。
それらは綿密なコンセプトメイキングや、コンセプトに沿って緻密に選ばれデザインされたパーツ群。
どのような小さなパーツであっても最大限にこだわる姿勢。
クイックリリースレバーやグリップ、ボルトの色に至るまでこだわり抜いた、「パーツの色まで」デザインする妥協無き情熱。
さらにはそれらを高い次元で融合させることのできる技術のみこそが実現しうるものだと考えています。

並み居る自転車との生い立ちの違いをアピールし、隣にどんな自転車が並ぼうともひるむことのない圧倒的な存在感を体感できるニュージャンル・バイク、それがドッペルギャンガー自転車なのです。

もちろん、デザインだけではなく自転車としての基本性能も追求しています。
「マンマシン・インターフェース」を重視し、度重なるテストライドを経て慎重に決定された各パーツの配置やサイズ。
素材に至っても、多くの自転車がそうであるように「フレームにだけ」アルミを採用して販売を有利にするがために「アルミフレーム採用」と謳うのではなく、シートポストやハンドルステム、その他ショートパーツに及ぶまでアルミ製部品や軽量パーツを採用しています。(※)
これらの軽量パーツは慣性重量の低減によるハンドルを切ったときの操作感、低重心化による高い安定感を実現し、乗り心地に大きく影響します。
もちろん高価な部品ですが、ドッペルギャンガーが「必要だと感じたからこそ」投入したパーツ群なのです。「軽さ」のメリットは様々な面において発揮され、突き上げの少ない快適な乗り心地、軽いこぎ出し、軽快なコーナリング、また長時間のライディングでも疲れにくい等、軽量化によるメリットは図りしれません。

さらには常に新しいパーツや素材、加工方法、技術、デザインを採り入れて「コンセプト」を具現化する最適な方法を模索し、さらにはプロダクトとしての完成度も高めています。

※・・・モデルによってフレーム素材、各部の素材は異なります。詳細は各製品ページにてご確認ください。




真似したくても真似できない、孤高の存在。

私たちはすでに発表しているバイクにより、コンポーネントに依存しない、自転車の「新しい価値」を創出できることを証明しました。

その「新しい価値」とは先に述べた「コンセプトメイキング」によるものであり、市場の反応は、ヒエラルキーに囚われない自由な発想の自転車を求めていたユーザーがいかに多かったか、そして多くの人々にとってヒエラルキーがいかに無意味であったか、を教えてくれます。

私たちが認知され、受け入れられたことの証明として、多くの追随者の出現が挙げられます。
数年前に私たちがたった1社ではじめたことに対し、私たちより新しいメーカーはもちろん、私たちよりも大きく歴史も古い自転車メーカーたちが競って追随しているのです。
しかし、むしろ私たちは、それを誇りに思います。
なぜなら、それは私たちの与えた衝撃の大きさを物語り、私たちが正しかったことの証明に他ならないからです。

そして、ここで改めて自問します。それら追随者と私たちの違いは何か?
それは、コンセプトの違いと言えるでしょう。

すでに述べている通り、私たちのつくる自転車は、「まずコンセプトありき」です。そして、そのコンセプトに従い、フレーム、カラー、パーツが選定され、それらを機能・デザインとも高い次元でバランスさせ、ひとつの自転車として完成させるのです。
そして、コンセプトは、「魂」という言葉と置き換えることもできます。
そこに造り手の魂はあるのか。それが私たちがもっとも重要視することです。形だけを同じように造っても、そこに魂が無ければ、それは抜け殻と同じです。
「必要に迫られ、やむなく購入する商品」よりも、「不必要と思えても、どうしても欲しい」商品づくり。造り手の魂が感じられ、それがユーザーの魂をも揺さぶる製品づくり。
それがこのマーケットでの第一人者である私たちの自負であり、責任でもあります。

そして、私たちは進化を止めません。つねにユーザーが期待するものを、そしてそれ以上のものを。想像をはるかに超えるものを。
追随者が私たちの製品やデザインについて研究を始めるころには、私たちは常に別の次元にいます。

追随されることによる重圧を、私たちは感じていません。なぜなら、私たちは追随者と根本的かつ絶対的に異なるからです。常に新しいものを創造し続ける私たちと、私たちが創造したものを模倣するだけの追随者。それはつまり、「生み出すことができる者」と「生み出すことができない者」とに分類されます。
私たちは何もないところから「創造」することができますが、追随者は自ら創造できず、私たちが「創造したもの」を模倣するにすぎません。

真似したくとも真似のできない創造性。比べることの無意味さ。比べられることの無い存在感、価値。私たちは、常に先を見て、新しい価値の創造に取り組んでいるのです。


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