自転車であると同時に「自転車ではない」。

私たちは自転車メーカーでありながら、世に送り出すものを「自転車」として捉えてはいません。

私たちがつくり、販売するのは「自転車」そのものではなく、「自転車に乗って何ができるか」だからです。
そしてその場合、自転車に付随する「コンセプト」も、自転車に装備されるコンポーネントのように、「その自転車の付加価値」足りうると考えているのです。

DOPPELGANGERは、製品のカラーや装備、形状はあわせてデザインされるべきだと思っています。
そのため、まず先にその自転車のコンセプトを決め、そのコンセプトに合ったフレームをデザインし、コンセプトに合ったカラーを決定します。
そして、このモデルとカラーを最大限引き立てることができるパーツ、そしてパーツのカラーや装備を選びます。
そのようにしてひとつのコンセプトのもとに造られた自転車、それがDOPPELGANGERの自転車なのです。

マーケティングにおいてよく、下記のような理論が展開されます。
「消費者が直径2ミリのドリルの刃を購入するとき、その消費者はドリルの刃を購入しているのではない。2ミリの穴を購入しているのだ」。

同様に、私たちが提供する自転車もまた、「自転車」のみにとどまらず「自転車に乗って何ができるか」という”自転車の先にあるもの”なのです。


DOPPELGANGER自転車の多くのモデルにはカラードブレーキキャリパー、カラードクランク、カラータイヤがコンセプトに合わせて選択され、コーディネートされています。
純粋に自転車としてだけ考えると、クランクには色が着いている必要も、タイヤもカラーである必要もありません。
それで何ら機能が向上することは無いからです。

しかし、機能が異なるパーツのカラーを変えて機能を視覚的に強調することや、見るものに鮮やかな余韻を与え、停車中であってもその躍動感やポテンシャルを感じさせるカラフルなタイヤは、私たちのコンセプトを再現するにあたり、「必要」であったのです。

そのような、ひとつひとつの「こだわり」がライバルとの差異を明確にする、そう私たちは考えています。

開発コンセプトはただひとつ、「マリンボーダー」。

DOPPELGANGER 409 spoolの開発コンセプトは「マリンボーダー」。

開発当初に決まっていたのはたったそのひとつだけ。
他には何もありません。

そして、私たちはマリンボーダーを自転車で表現するにはどうするのか、を考えました。
より大きな面積でマリンボーダーを表現するために新開発された極太異型断面フレームはその典型です。
目に映る面積を最大とし、かつシャープな印象を与えるにはどうするか。
横から見た時の面積が最大としながら、しかし大きく太くなることで「重たくぼってりした」印象を避けるためにプレスラインを設けて直線を演出し、陰影を付けることで視覚的な軽快さを持たせています。

アクセントとしては、ネイビーブレザーや水兵の制服に用いられるゴールドを。
これらはニップルやハブ、スペーサー、ブレーキキャリパーに反復して用いられ、これらによって「単なる紺と白の自転車」から、「着こなしたくなる自転車」へとイメージを昇華させています。

加えて、より爽やかに、よりアパレルライクに見せることにこだわり、シートポストやハンドルバーテープ、クランクに至るまで、全体におけるホワイトの比重を高くしました。

タイヤにおいては前後異なるカラーコーディネートを取り入れ、同様にそれぞれ前後で異なるカラーを持つディープリムには専用グラフィックを与えています。

ハンドルバー形状にはアグレッシブな印象でストリートイメージの強いブルホーンバーハンドルを採用。

「たんに自転車の色を変えただけ」ではない、DOPPELGANGERならではの手法にて、フレームそのものから開発し、パーツを厳選した結果がここに。
カスタム感が漂う上級者ファッションの様相を呈しています。

DOPPELGANGERのルーツ、そして現在。

ドッペルギャンガーを代表する製品とも言える「202 BlackMax」が世に出た2006年、そこには「自転車に装着されるパーツの色に拘る」という概念がありませんでした。
自転車とは「走る」ためのもので、そのためのツールである、という考え方に支配されていたのです。

そして、私たちがそのような支配的な考え方に対するアンチテーゼとして提案したのが「202 BlackMax」。

もちろん、当時それは容易なことではありませんでした。
自転車といえば「機能」もしくは「価格」がすべての時代。
「高機能な自転車」でなければ自転車にあらず、そして「低価格」な自転車でなければ売れない。そう考えられていたのです。

そのため、わざわざコスト増に繋がるような、ハブやスポーク、ニップルへの着色、シートポストやハンドルバーへのカラーリング、タイヤへのカラーリングについて、「業界」からの理解を得ることが難しかったのです。

「なぜ機能に関係の無いパーツに色を着けるの?高くなるのに」。
「なぜカラータイヤを装着するの?高くなる上にすぐに汚れるのに」。

ですが、思い描いてください。
私たちは、「機能に関係の無い、飾りや色が着いた服」を着ることをしないでしょうか。
私たちは、「すぐに汚れてしまう、カラフルな靴」を履かないでしょうか。

そうではないと思います。
たとえ機能関係がなくとも、汚れやすくても、自分が気に入ったものを身につけるはずです。

私達の考え方にいち早く気付き、賛同してくれたのは、業界よりも消費者そのものでした。
「こんな自転車が欲しかった」
「自転車を買う予定はなかったけれど、見た途端に欲しくなった」
「他の自転車ではなくて、202 BlackMaxが欲しい」
そういった多くの声とともに、共感をもって迎えられたのです。

今や202 BlackMaxは従来の「自転車」という概念を打ち破り、”それ以上の”存在としてユーザーとともに在るためにつくられた、まさにDOPPELGANGER=分身とも言える存在となりました。

その考えは、今なお強くDOPPELGANGER製品の根底に存在しています。
自転車であり、自転車ではない。あるときは自転車以上の親近感と存在感を持ち、ユーザーを代弁する「分身」であり続けたいと願っています。

自転車に乗る意味。

公共の交通手段が発達した現代において、「自転車に乗る意味」とは何でしょうか。

電車でも、バスでも、タクシーでも、自家用車でも、モーターサイクルでもなく、「自転車」に乗る意味とは。

安全で確実な手段としては、電車やバスが挙げられるでしょう。
より長い距離を便利に移動したいのであれば自動車が良いかもしれません。
街中のちょっとした移動であれば、電動自転車が快適でしょう。
にもかかわらず、なぜ体力が要求され、荷物も載せることができず、雨風の影響を受け、直射日光や気温の変化と戦わねばならない自転車に乗るのか。

その意味は、人によってそれぞれ異なるでしょう。

健康のため?

競技の(練習の)ため?

人混みが苦手だから?

いちばん便利だから?

私たちは、自転車に乗る「最大の理由」について、他人の制約を受けず、自らのペースで走れることだと考えます。
「自転車は、乗る人それぞれの速度で走る」。

私たちが述べるように、自転車の走る速度は乗る人によって異なります。
乗れば勝手に目的地まで運んでくれる電車やバスとも異なります。アクセルを開けば加速する自動車やモーターサイクルとも異なります。

自転車は、私たち自身を動力源として、私たちの必要な速度で走るのです。

その速度は、徒歩とも異なります。
その速度でしか見えないもの、その速度でしか感じることができないもの。歩く速度でしか目に入らないものがあるのと同様に、自転車の走る速度でしか目に入らないもの、自転車に乗った時の視界でしか目に入らないものがあります。

それは、周囲を囲まれた電車では見ることのできないものであり、高速道路や渋滞する市街地を自動車で運転していても見ることのできないものだと考えます。

早すぎず、遅すぎず。

自分の速度で走ることができ、人に運ばれることをよしとせず、自分の目的のためだけに走ることができるすべてのライダーにささげる自転車。それがDOPPELGANGERです。

コンセプト、そしてそれを反映させる「鏡」としての自転車。

DOPPELGANGERが世に送り出す自転車には、必ず「コンセプト」が存在します。

なぜか。

私たちがつくり、販売するのは「自転車」そのものではなく、「自転車に乗って何ができるか」だからです。
そしてその場合、自転車に付随する「コンセプト」も、自転車に装備されるコンポーネントのように、「その自転車の付加価値」足りうると考えているのです。

DOPPELGANGERは、製品のカラーや装備、形状はあわせてデザインされるべきだと思っています。
そのため、まず先にその自転車のコンセプトを決め、そのコンセプトに合ったフレームをデザインし、コンセプトに合ったカラーを決定します。
そして、このモデルとカラーを最大限引き立てることができるパーツ、そしてパーツのカラーや装備を選びます。
そのようにしてひとつのコンセプトのもとに造られた自転車、それがDOPPELGANGERの自転車なのです。

マーケティングにおいてよく、下記のような理論が展開されます。
「消費者が直径2ミリのドリルの刃を購入するとき、その消費者はドリルの刃を購入しているのではない。2ミリの穴を購入しているのだ」。

同様に、私たちが提供する自転車もまた、「自転車」のみにとどまらず「自転車に乗って何ができるか」という”自転車の先にあるもの”なのです。


DOPPELGANGER自転車の多くのモデルにはカラードブレーキキャリパー、カラードクランク、カラータイヤがコンセプトに合わせて選択され、コーディネートされています。
純粋に自転車としてだけ考えると、クランクには色が着いている必要も、タイヤもカラーである必要もありません。
それで何ら機能が向上することは無いからです。

しかし、機能が異なるパーツのカラーを変えて機能を視覚的に強調することや、見るものに鮮やかな余韻を与え、停車中であってもその躍動感やポテンシャルを感じさせるカラフルなタイヤは、私たちのコンセプトを再現するにあたり、「必要」であったのです。

そのような、ひとつひとつの「こだわり」がライバルとの差異を明確にする、そう私たちは考えています。

「良い」自転車の定義とは?

良い自転車の定義とは何でしょう。
高級なコンポーネントを装備する自転車?軽量な自転車?高価 な素材を使用した自転車?フルサスペンションを装備した自転車?

いずれも正しくはありますが、しかしすべての人にとって、 「良い」と言えるでしょうか。
たとえば、クルマを例にとってみましょう。
「速く走る」とい う目的においては、おのずと車体デザインや構成(パッケージング)が決定されるでしょう。それは疑う余地がありません。
その場合、積載性 や乗車人数は重要視されず、燃費も無視されることになるかもしれません。

しかし、これがもし「人を運ぶ車」、もしくは「悪路を走る車」をつくることが目的であればどうでしょう。優先される「要素」そして優先順 位が大きく変わります。ある目的のもとでは最優先されるものが、また別の目的のもとにおいてはまったく無視される、といったケースもありうるのです。

良い自転車、たとえばその目的や定義を「速く走るための自転車」と定めれば、おのずと形状が決定されます。
ですが、私たちが乗りたいのは、「速く走れる」自転車でしょうか?
周囲や流行に流されてはいませんか?

すべての自転車が同じ基準で造られていては、面白みに欠けるものになり、どれも没個性なものとなってしまいます。

仮に、「優れた人」の基準がすべての人にとって同じものであれば、そこに個性の介在する余地は無くなり、その基準から外れる人は「優れていない」ということになります。
しかし、現実はそうではありません。
「基準」は一つではありませんし、たとえ「基準」があったとしても、その基準にあらわれない部分が「その人の個性」なのです。
私たちは、人の個性を尊重すると同時に、「モノ」の個性も尊重します。

私たちがここで主張したいのは、「良い自転車」の定義は一つではない、ということです。その自転車の目的が「速く走ること」「荷物 を積むこと」「悪路を走ること」と細分化されれば、それぞれの分野において「良い自転車」の定義が変わるのです。

私たちが作るバイクは、競技に使用するロードレーサーではありませんし、シリアスなダウンヒルバイクでもありません。
そして、自転車に乗る人すべてがレーサーを目指すわけでもありません。
ですから、それらと同じ視点で、同じ手法によって自転車が設計されることはナンセンスです。
また、それらとの比較も同様にナンセンスです。

私たちは、自転車の良し悪しは使う目的を抜きにして語れず、人が能力の高低のみで語られるべきではないのと同様、コンポーネントや素材の高低のみによって語られるべきではない、と考えています。

その上で、私たちの考える「良い自転車」とは。
使用されるべき、そして使用されるであろう目的がはっきりしており、その目的に沿って最大限の効果を発揮できるよう最適なデザイン・ 技術・素材を集中させてつくられた自転車。いかに「使う人」の目的に添い、価値観に合致しているか。それが最も重要だと考えていま す。

しかし、その「目的」は人により、多種多様に分化します。
私たちは、さまざまな人々のさまざまな「目的」に合致するよう、さまざまなコンセプトを持つ、さまざまな自転車をラインナップしてい ます。
そして、その「目的」と「コンセプト」が合致し、人と自転車が一体となることにより発生する「新たな価値」を期待しているのです。

その新たな価値とは、商品だけに依存しない、「所有する満足感」「比べられることのない快感」といった、その自転車を所有する人の 「心」に直結するものだと考えています。

自転車の「個性」、そしてヒエラルキーの外に乗り出す勇気の大切さと快感。

私たちは、外見や偏差値や出身校など「外面的な、書面上の」事項だけで人間の優劣を決めること ができない、また決めてはならない、ということを知っています。
見かけだけでは分からない、その人の個性がその人の”人間性”を決めるのであって、外見や、書面上の”データ””スペック” のみでその人となりを判断するべきではないのです。

自転車も同様に、スペックには現れない「個性」が存在します。
その個性が「その自転車の性質」を決定するのです。

しかし、自転車も「モノ」である以上、必ずそこには「ヒエラルキー」が存在します。
つまり、世間一般的な基準における「モノの優劣」です。

しかし、「良い自転車の定義」について疑問を投げかけたのと同様、ここで私たちは再度問題を提起します。
そのヒエラルキーは自分が従うべき種類のものであるのか。
それは他人が決めたヒエラルキーであって、それに自分が従う必要は無いのではないか。
自分が使う「モノ」であるのに、それを選ぶ基準が他人が決めたものになっているのではないか。

「モノ」を選ぶとき、私たちが従うべきは自身の価値観であり、他人の決めたそれであるべきでは ない、と私たちは考えます。
私たちが言いたいのは、「自分が本当に乗りたいのはどのような自転車であるのか」をしっかりと見極め、それに沿った自転車を 選ぶ必要がある、ということ。
一般的な基準や他人が決めたヒエラルキーではなく、自分自身の基準に従って自転車を選ぶという行為の大切さを強調したいのです。

人は、風になびく旗のように、風の向きによってその方向を変えるべきではない。私たちはそう考えています。

私たちが従うべきは、私たち自身の心であり、それは周囲に影響されるべきではないのです。

「ヒエラルキー」という世界からあえて身を一歩外へ置き、自分の価値観を満足させ、純粋に自分の楽しみのためだけに自転車 を選ぶこと。
他人が決めたヒエラルキーに左右されず、「他人は他人。自分は自分」と考え、独自の判断を下すこと。

ヒエラルキーの外に乗り出す勇気の大切さ、ヒエラルキーの外に出て自由な視点でものを見て選ぶことの快感を、私たちは強調し たいのです。
いったんヒエラルキーの外に出てしまえば、今まで自分が囚われていた世界のなんと小さなことか。そう思えるかもしれません。

だからこそ、私たち自身もカテゴリーに囚われず、かつコンポーネントに依存しない「新しい自転車の価値」を提案し続け、常 に「ヒエラルキーの外に」あり続けようとしています。

そして、ヒエラルキーの外へ居続ける限り、私たちに制限や固定観念は適用されず、同時に意味を成さないのです。

私たちの製品が世間一般の考える「自転車」という尺度を用いて測られたくないのと同様に、私たちもまた、自転車を世間一般 の尺度では測っていないのです。
つまり私たち自身が、ヒエラルキー内に存在することの無意味さを、製品を通して示しています。




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